結婚

今まで結婚に憧れをもったことがありません。

親が仲が悪いとか劣悪な家庭環境で育ったとか

そういうことでもありません。

母の世代は結婚しないと生きられなかった、

でも今は結婚しなくても生きられる。

それが真実であるように思います。

結婚も離婚も正義でも悪でもなく、

ただ本人の志向や趣味の問題に思えてきます。

それなのに、あまりにその制度によって

苦しんでいるひとたちがたくさんいて

修行のように見えるときもあるし

何の意味もない制度に見えるときもあります。

ただ、いいことも悪いことも乗り越えて

続いてきた柔らかな家族関係を見るとき

そこにはとても大きな意味を感じたり、

自分が親からもらっている大きな愛情や

自分が親に思う特別な思いを鑑みると

それは唯一無二の関係性であるように感じます。

ただ、それは婚姻制度にのらなくても

血縁のある(もしくななくても)数人が

長い間相手を思いやって生きたら

得られうるものなのかもしれない。

婚姻制度に思い入れはないけど、

それは人類がもてる最高のものかもしれない。

 

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太陽の塔

映画「太陽の塔」を観てはじめて

あの塔が人類の技術革新による

安易な進化論に対するアンチテーゼだったと

はじめて知りました。

国民啓蒙のための国の一大事業であった

大阪万博の「人類の進化と調和」に対して

人類は進化などしていないと豪語する

岡本太郎が起用されたことは

奇跡的な出来事に思えます。

岡本太郎太陽の塔の内部にアメーバから人類にいたる

進化の流れを生命の樹に表現しています。

彼は人類に対してとても懐疑的で

アメーバよりも小さな存在として表現していますが、

わたしには人類の体のなかにはまさに

アメーバから今に至るすべての歴史が刻まれ

過去、現在、未来のすべてを包括する情報が

刻まれているように思いました。

わたしたちが意識しようがしまいが

わたしたちは脈々と流れる命のルーツを体に宿し

ひとりの人生のなかで学ぶ内容を超えて

体に刻まれた情報のうえに生かされている。

そういう存在であると。

映画「太陽の塔」は岡本太郎だけでなく

時代、人類、起源、進化、歴史、日本、

縄文、狩猟と農耕、原子力バタイユ

芸術、チベット、仏教 などなど

たくさんのキーワードでわたしたちの

根源に迫ろうとする意欲作でした。

監督の深い知見と強い意志に

心からの尊敬をこめて。

 

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